オカザキ クニヒコ
  岡﨑 邦彦   東洋研究所 東洋研究所   教授
■ 標題
  「西安事件後の国共交渉-杭州会談と廬山会談」(下)
■ 概要
  1937年3月の第二回国共合作交渉(杭州)から6月第三回交渉(廬山)までの交渉内容と対立点を明らかにした。また、杭州会議後、中共は全国の党員へ国共合作実現のために会議などを開いて説得、準備するが、しかし蔣介石は会議後の中共中央の通知や対応から合作を「偽装手段」と捉えて、廬山会談で厳しい条件を突きつける。それは中共紅軍の解体であり、指導者毛沢東と朱徳の「出洋」(外遊、すなわち海外追放)であった。ところが、こうした中共の窮地を一変させる事件が起こる。それが7月廬溝橋事件に始まる日中戦争であった。
  単著   『東洋研究』168号   大東文化大学東洋研究所刊行      2008/07


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