オカザキ クニヒコ
  岡﨑 邦彦   東洋研究所 東洋研究所   教授
■ 標題
  1937年西北善後処理問題(上)-張学良拘束による西安と南京の対立-
■ 概要
  1936年12月25日、西安事件は蔣介石の釈放をもって一応の解決を見るが、しかし西安ではなお東北軍、17路軍、紅軍が「三位一体」の結束を固め、西北抗日軍事委員会を成立させ、「西北の半独立」(軍閥化)、中共「抗日根拠地建設」を目論んでいた。これに対し、蔣介石南京政府は西安奪回、西北の秩序回復、赤化阻止を目的とし、西安に対する人事および三軍の移動を要求した。他方、張学良の「厳加官束」処分で西安側は三軍の最高指導者を失い、東北軍内では動揺と分裂、さらに対南京軍事緊張が醸成されていった。こうした中で南京側と西安側の和平解決の交渉が繰り広げられる。本論は、その初期における西安側の楽観から緊張への情況の変化と南京側の軍事攻勢を明らかにした。
  単著   『東洋研究』172号   大東文化大学東洋研究所      2009/07


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