コバヤシ ハルキ
  小林 春樹   東洋研究所 東洋研究所   教授
■ 標題
  三国時代の正統理論について
■ 概要
  三国時代の魏・蜀・呉は、思想的には三者のいづれが後漢の正統な後継王朝か、という「正統論」的立場からも鋭く対立していた。魏は、讖緯思想や緯書にもとづいて「魏舜後説」ともいうべき理論を形成したうえで「禅譲」によって後漢から政権を継承した新王朝として自らを位置づけてその正統性を主張した。これに対して蜀が劉氏の一族であることを拠り所として自らを正統王朝化したことはいうまでもない。三国の中で最も不利な立場にあったのは「禅譲」の美名のもとに後漢から政権を奪取するほどの力はなく、また、血統においては、劉姓の蜀に遠く及ばず、その結果常に「漢の翼賛者」として、ナンバー2の立場に甘んじなければならなかった呉である。因みにそのような呉が自らの「正統性」を証明するために活用できたのは歴代王朝の手垢にまみれた感を拭いきれない「瑞祥」だけであった。このように三国時代の正統論にはその説得力において優劣が認められるのであるが、自国を神聖不可侵で永遠不滅の絶対王朝であることの証明を目的としていた後漢までの諸王朝の正統論に比較すると、単に自国が後漢の後継者であることの証明を目的とした三国時代のそれは「小粒なもの」となっているのであり、そのような変化を生んだ要因としては、後漢の滅亡と神聖王朝神話の崩壊、それと表裏の関係を為す「合理的」思潮の台頭などが考えられる。
  単著   「東洋研究」第139号(レフェリー制)   大東文化大学東洋研究所刊行      2001/01


Copyright(C) 2011 Daito Bunka University, All rights reserved.